はじめての長期野宿
1988年夏(13日間)
 はじめて家族で長期野宿をしたのは1988年夏。三陸海岸を中心に東北地方を13日間でまわった。このとき長男ドラゴンは2才、長女テレンコは生後8カ月。紙おむつと離乳食をかかえての旅だった。
 それ以前にキャンプ経験がなかったわけではない。しかし生活道具を車につみこんで、転々と移動しながら、気ままに旅するのははじめてだった。4日たち5日たちするうちに、私たちはしだいに垢でもおとすように仕事の疲れも人間関係の悩みも忘れ、これまでない開放感にひたった。そして家族がつねに密着して生活するなかで、お互いの絆もいっそう強くなっていくような気がした。それ以後すっかり野宿にはまってしまった。
 ただその野宿期間が長くなればなるほど、通常の生活に戻りにくくjなる。いわゆる「社会復帰」が難しくなるので注意が必要だ。
(写真=1988年夏。三陸海岸のキャンプ場。荷物はリヤカーで運ぶ。)

46都道府県で野宿
1989年夏(16日間)関西〜四国
1990年夏(22日間)東北〜北海道
1991年夏(21日間)九州
1992年夏(22日間)四国
1993年夏(20日間)北海道
1994年夏(22日間)中国
1995年夏(10日間)東海〜北陸

 おもな長期野宿をおおざっぱにあげてみた。1996年以降は、夏休みに海外へ行くようになって、国内での長期野宿はなくなった。だが短期野宿は週末などを利用して、こまめに出かけている。
 これまで全国各地で野宿したが、沖縄県だけはまだ行ったことがない。近いうちに行って全国制覇してみたいと思う反面、日本のなかの未知の部分として、夢をもちながら最後までとっておきたい気もしている。
 また離島での野宿も面白い。いままで淡路島(兵庫)、種子島(鹿児島)、天売島(北海道)、隠岐島(島根)、八丈島(東京)、佐渡島(新潟)、礼文島(北海道)での野宿を体験した。どれも離島というほどへんぴな場所ではないが・・・。無人島で、本物のサバイバルをいつかしてみたいと思っていたが、2002年冬にパラオの無人島で実現した。国内にもきっと知られざる島があるに違いない。
(写真=1992年夏。四万十川で。水遊びする二男タコヤキは2才。)

野生動物とのふれあい
 子どもたちは生き物が好きなので、野宿しながら動物や昆虫や魚などをつねにさがしている。とくに北海道では、他で見られない野生のキツネやシカがひんぱんに出てくるので、みな大喜びだ(エゾシカは早朝によく見かけた)。
 しかしその北海道で生まれ育った父親バンダナは複雑な気持ちになる。「オレが子どものころ野生のキツネやシカなんて見たことなかったぞ」と。人間の与えるエサを求めて道まで出てくるキツネ、ゴミをあさりにキャンプ場に出てくるヒグマ、国道を横切って走るエゾシカの姿は、北海道の自然が極度に痩せ細ってきている証拠ではないか。通りがかりの旅人がそれを「野生動物とのふれあい」などといって喜んでいてはいけないのではないか。

(写真=1993年夏。北海道東部の国道。キツネが寄ってきた。)


のんびりゆったり温泉めぐり
 旅のいちばんの楽しみは各地の温泉めぐりだ。地元の人に聞きながら「穴場」をさがす。それが無料の露天風呂なら最高だ。ガイドブックなどで紹介されているような所は人も多い。のんびり入るなら、誰もいない早朝(未明)がねらいめだ。
 1988〜91年まで毎冬、伊豆半島温泉めぐりの旅(約1週間)をした。それ以後も全国をまわりながら温泉あさりの旅をしている。伊豆の石部温泉「平六地蔵の湯」、草津温泉「煮川の湯」、乗鞍高原温泉「せせらぎの湯」などは気に入っていて、週末を利用してよく行く。
 秘境の露天風呂で一番良かったのは、北海道東部の薫別温泉だ。クマがでそうな山道を歩いていくと、渓谷の小高い所に小さな湯船がある。4〜5メートル下の川からひも付きバケツで水を汲みあげて温度を調節する。北海道は他にもいい露天風呂がたくさんある。
(写真=北海道知床半島のセセキ温泉)

子ども背負って山歩き
 八王子のわが家は高尾山に近いので、休日はよく子どもを背負って山に登った。海抜600m弱の低山であるが、動植物の宝庫で、初心者向けのコースもあり、子連れには最適だ。ちょっとハードな子育て法ではあるが、わが家の5人の子どもたちはみな3歳になるとこの高尾山を自力で登るのが「ならわし」となっている。
 他にも大菩薩や尾瀬、妙義山、伊豆の金冠山などジジババも連れてよく歩いている。子どもや年寄りを連れているので、本格的な登山はやらないが、いつかは野宿道具を背負ってサバイバル登山をやってみたいと思っている。
 そんなある日、友人から電話がかかってきた。「たいへんだ。『山と渓谷』の表紙におまえが出てるぞ!」といわれ、すぐに本屋に走った。すると私と四男コロコロの写真がどどーんと山積みになっている。本人が撮られたことも気づかぬうちに雑誌の表紙になってしまうことが、世の中にはあるのだなぁと感心した。もちろん「肖像権」なんて野暮なことは言わずに、ありがたく10冊買って親戚に配った。
 この表紙がきっかけで、テレビ東京の「徳光和夫の情報スピリッツ」に出演した。大家族4本立てのうちの1本で「サバイバル一家・・・3歳の関所」というタイトルだった。
(写真=「山と渓谷」1997年3月号の表紙)



琵琶湖一周リヤカーの旅
1999年5月(4日間)

 子どもが多いので、ふだんは移動手段として自家用車を使うことが多い。末っ子コロコロが4才になったので、そろそろ歩くことを主に野宿旅をしてみようと思った。手はじめに琵琶湖一周160qに挑戦する。テントと調理用具をリヤカーに積んで歩いた。
 長男ドラゴンは「ホームレスみたいで恥ずかしい」と離れる。二男タコヤキは風邪の発熱でリヤカーの上に横たわる。途中からどしゃ降りの雨になる。びしょ濡れになり、足にまめをつくりながらも、なんとか4日間で歩ききった。
 バイクの兄ちゃんが「がんばれー!」と手を振ってくれる。見知らぬオジサンが「うちに寄って茶でものんでけ」とさそってくれる。食料の買い出しはヒッチハイクでスーパーに、、、。いろんな人に支えられた旅でもあった。
(写真=琵琶湖一周を完歩して記念撮影。)




佐度島一周車いすの旅
1999年夏(8日間)
 モンゴル野宿に出かける直前、父親バンダナがアキレス腱を切ってギブス生活となった。モンゴルを泣く泣くキャンセルした一家は、新たに計画を立て直すことになる。
 知人の障害者から車いすを借りてきたことで、「これだ!」とひらめくものがあった。以前から歩いてみたいと思っていた佐渡島一周200q、車いすでまわってみるのも面白い。「これこそ今しかできない旅だ!」
 思いたったらすぐ実行。「バリアフリーにっぽん」ののぼりをたてて、子どもたちが父親の車いすを交代で押しながら8日間で一周歩ききった。
 車いすで野宿していると、地元の人がサザエやビール、ジュースをさしいれてくれる。80才くらいかと思う腰のまがったおばあちゃんが寄ってきて、「あんた、お大事になさいよ」といたわってくれる。真夏の日差しを浴びて子どもたちも汗だくになりながらよく頑張った。「怪我のコウミョウ」とはまさにこれ。いつもとはひと味ちがう野宿旅となった。
(写真=夕暮れのなか佐渡島北部の外海府を歩く。)

真冬は耐寒野宿+スキー
 「サバイバル野宿にオフシーズンはない。いついかなる時と場所でも一夜を明かせなければ、わが一家の一員としての資格はない!」、、、とバンダナ親父は宣言する。
 冬場の週末は群馬県の草津温泉に近い山中で野宿することが多い。温泉とスキーが一気に楽しめるのだ。しかし最近では親についてくるのは下3人の子どもだけ。長男長女は「行かない」と一言、冷たい視線で見送る。
 酒ばかり飲んでる親父は体温があがっていいが、子どもたちはたしかに大変だ。冬用のシュラフに身を包んでも、しんしんとした寒気が地面から伝わってくる。朝起きたら、枕もとに置いたペットボトルのウーロン茶がガリガリに凍っていた。
(写真=草津での朝。気温マイナス9度)

本州一周水族館チャリラリー
2001年5月〜2004年5月(計53日間)
 5月の連休はどうしようかと日本地図を眺めていたら目にとまったのが、鹿島灘と九十九里浜のなだらかな海岸線。これをチャリで走ったら気持ちいいだろうなと思った。子どもたちを遊ばせるため、ついでに水族館にも寄ってみた。
 1回目のチャリ旅が快適だったので、こんなふうに水族館のスタンプを集めながら日本一周してみるのも面白いと考えた。週末などを利用して少しずつチャリで繋げていけば、とりあえず本州くらいは一周できるのではないか、、、。
 軽い気持ちではじめてみたが、チャリ旅というのはけっこう大変だ。悪天候もあるし、山越えは厳しい。国道ではトラックにふきとばされそうになる。ことにトンネルは危険きわまりない。日本の道路というのは自動車のためだけに整備されているらしい。国土行政に対する怒りをあらたにしながらこまめにチャリをこいだ。
 出発から3年。4656kmを走り、41の水族館をつないで、ようやくゴールした。
参照:「GO!GO!冒険ING」

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